どこまでも散歩道〜志治美世子ウェブサイト



「もん」の会
歌仙「写楽の首絵」の巻

[川野蓼艸 捌]

初春自 白梅の香に入りてなほ香を抜けず 川野蓼艸
  三春/ 蛇行の川に満つ春の水 志治美世子
  三春/ 大き犬陽炎を割り馳せて来て 種川とみ子
  回転扉をよぎる我が未知 古川柴子
  三秋自 国道の行く手ひょっこり月のぼる 尾山祥子
  晩秋他 人と徳利菊とぐい飲み とみ子
晩秋自 卓袱台のあるだけの部屋そぞろ寒 祥子
  三秋自 露ほろほろと落ちる追憶 美世子
  男待つ写楽の首絵の下に待つ とみ子
  時の捩れに垂れて黒髪 柴子
  鐘楼はムーズ河沿ひ大聖堂 とみ子
  蚤の市にてミステリー買ふ 美世子
  三冬自 ポケットの小銭ちゃらちゃら冬の月 美世子
  ポテトフライのあるカウンター 柴子
  名画座の三本立ての日曜日 祥子
  じわじわと死に近づいてゆく 美世子
  晩春自 独り聞く花散る音の残響を 柴子
  晩春半 巣の子燕を指で教へる とみ子
ナオ 晩春/ 清明にふと滑り台消えにけり 祥子
  マジックハンド偸盗の怪 とみ子
  合併で大きな町になりなさい 祥子
  視界が揺れて読めぬ小説 柴子
  ロマびとは床踏み鳴らし弦鳴らし 美世子
  金のアンクル闇に光りて とみ子
  三夏半 吾妹子の魂抜けば明け易し 蓼艸
  三夏自 汗ばみゆきてタトゥー極彩 祥子
  大陸の砂漠の果てに海ありて 美世子
  乾く手に貝 遠く耳動く 柴子
  三秋他 ルソーの絵のライオン坐して月青し とみ子
  晩秋自 弥陀の微笑よ秋を惜しむか 美世子
ナウ 晩秋自 立て案山子コンクールだぞ起きなさい とみ子
  太鼓の波動走る草原 祥子
  友禅の衣翻へし酒の宴 とみ子
  初春自 蹴鞠をすれば小さき芽生よ 柴子
  晩春自 今日の日の花に何ぞや雪の降る 美世子
  晩春/ 目借蛙の夢のひととき 祥子

平成十九年三月五日(月)
於・中野「もん」

雛鳥たち

川野蓼艸

今日の連衆はかの水野隆氏の秘蔵っ子だ。時々郡上八幡から出て来られて氏は歌仙を巻かれる。私もここ一二年会を手伝う様になって、彼女たちと知り合った。

氏は式目におおらかである。余りうるさい事は言われない。初心の者には有難い。しかしちらほら耳にする人情自だとか他だとか、場だとかいうのがはっきりしないという。物付け、心付けにしてもそうだ。

私でよければお教えしましょうという経緯で今日の会となった。志治さんはフリーライター、種川さんと古川さんは画家、尾山さんは写真家である。

連句を始めて日が浅いのは確かだが、初心者と呼ぶのが失礼な事は上の作品をご覧になれば分ろう。

「男待つ写楽の首絵の下に待つ」、どこか写楽展のポスターが貼ってある場所で男を待っているのであろう。これを「時の捩れに垂れて黒髪」と受けるのは巧い。デイトは上手くいかなかったものと思われる。

ある日、滑り台が消える。鉄の高騰で盗まれたのだ。北京オリンピックのスタヂアムには日本の半鐘や滑り台が納まっているに違いない。

「独り聞く花散る音の残響を」も巧い。花が散る音なぞしないのは誰でも知っている。心象である。

「乾く手に貝遠く耳動く」砂漠の後に唐突である。砂漠も昔は海であった。貝の化石でも出てきたと解して頂きたい。

雪月花という。一巻の中に雪をどこかで入れてくれと言っていたのに仲々うまくいかない。

最後に来て、志治さんが「今日の日の花に何ぞや雪の降る」とやった。花が咲いているのに春雪が降ってきたのだ。彼女たちを初心者とはもう呼ぶまい。

私が連句を始めた時、馬嶋春樹氏が「木履」という事を言われた。ボクリと読む。発句に使った漢字は平句で使ってはいけない、芭蕉の出座した作品には一巻もないと言われた。私はこれを金科玉条の様に思った。

十七季の著者の一人の丹下博之教授がパソコンを駆使されて調査された話では、芭蕉の作品に木履は何巻かあるとの事である。誰かが自派に権威を持たせるために言い出した事で、是非守らねばならぬ事もなさそうだ。

私の発句に「香を抜けず」とやって「魂を抜く」がある。木履である。承知でやった。

彼女たちは水野隆という大きな親鳥の翼の中にいる雛鳥である。彼女たちが連句界に羽ばたく日がきっとあると私は確信している。


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