どこまでも散歩道〜志治美世子ウェブサイト



携帯の名前消せずにまたも夏(2)

節子さんの病室で過ごした、幾度もの時間。

節子さんの微笑み。

他愛無いおしゃべり。

病気のことが話題になることは、ほとんどなかった。

そして静かに、どこまでも優しく、それでも確実に節子さんを失なっていかなければならなかった時間。

節子さんは、今、どこでどうしているのだろう?

節子さんは、もう私のことなど、忘れてしまっただろうか?

そんなことを考えるのがどんなに無意味であることか、頭では十分に理解しているはずなのに、それでも私は、「節子さんがもしももう私を忘れてしまっていたら・・・」と思うだけで、寂しくて、悲しくて、涙がこぼれてしまう。

そう私には、まだ節子さんが必要だったのだ。

節子さんの愛した総一郎さんや、娘さんたちや、そのほかの何人もの節子さんが心を残していったであろう大切な人たちの彼方に、私が押しやられてしまうことを、節子さんが逝ってしまった今でさえ、私は恐れているのだ。

そばにいて。そばにいて。そばにいて!

姿を見ることはできなくても、声を聞くこともできなくても、

それでもお願いだから、私から離れていかないで!

私を忘れないで!

田原節子さん。

私たちが共に過ごした時は、節子さんの人生のほんの短いひとこまに過ぎなくても、私にとっては永遠にかけがえのない時間でした。


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