どこまでも散歩道〜志治美世子ウェブサイト



携帯の名前消せずにまたも夏

今年も8月13日がやってきた。

一昨年のこの日、田原節子さんは逝ってしまった。

若き日は女性アナウンサーの草分け的存在、村上節子さんの名で知られていた。

その後、年齢を経たことによる現場からの配置転換命令に対し、

「私はプロのアナウンサー。容貌は衰えても、声は衰えていない」

と勤務先の日本テレビを相手取って訴訟をおこし、勝訴した。

まだ若かった私はこの出来事をうろおぼえながら記憶していて、

「オンナが社会で生きるって、こういうことなのかって思った」

と節子さんに話したら、彼女は、

「おマセさんだったのね」

と言って笑った。

節子さんと夫である田原総一郎さんとの手記、

「私たちの愛」

をいただいて、そこに綴られたお互いの無垢ともいえる率直な時間の物語を読み終えたとき、

「総一郎さんって、ああいう人だってまるで思っていなかった」

と感想を伝えたら、

「えっ? 総一郎っていったいどういう人だと思っていたの?どう見えてるの?」

と、聞かれ、困った私は、

「本当に思ったことを言ってもいいの?」

「いいわよ、言ってちょうだい」

とはいえ、そのころの報道番組で、私にとってはわわしいとしか思えなかった議論を出席者と闘わせていたその感想を、とてもじゃかいけれど率直に伝えられるはずもなかった。

しかし、だからといって嘘をつくわけにもいかない。

私は覚悟を決めて、言葉を捜し始めた。

「私にとっての総一郎さんの印象って、もっとずっとガリガリで、ゴリゴリで、ガチガチで・・・」

「総一郎って、そう見えるの?」

いかにも驚いたように節子さんは言った。

しかたがない。私はきっぱりと言い切った。

「見えます!」


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