どこまでも散歩道〜志治美世子ウェブサイト



葬儀に首相が来る、ということ。(2)

私はぎょっとした。

「な、なんだ?あれは・・・」

そう、小泉氏の一軍である。

私は「日本国首相」という存在が実は個人ではなく、シークレットサービスやあまたの秘書を引き連れた「団体」であることを、そのとき初めて知ったのである。

真っ黒な雷雲のように出現した塊は、あっというまに焼香をすませ、そして去っていった。

あの、節子さんの死を悼み、悲しみの別れの時間を過ごすことを覚悟してやってきた私たちの前を通り過ぎていったあの塊は、いったい何なのか?

そしてその後に連なる、おそらくはその誰もが生前の節子さんを知らぬままにお通夜の席に連なっているのであろう、あの政治家どもは、いったい誰なんだ?

私は祭壇中央に飾られた節子さんの遺影を見ながら、

「ここには節子さんは、いない。いるはずがない・・・」

と思い続けていた。

翌日の本葬に再び足を運ぶ気持ちは、すでに失せていた。

その後、改めてご家族から「節子さんの会」をごく親しかった人間だけで開くことをご案内いただいた。

会場は小さな京橋のレストラン。

節子さんのお気に入りの店だったのだという。

20人ほどで一杯になるその店を貸切にして、その夜は存分に節子さんの話題で明け暮れた。

その場にいた誰もが、

「今夜、この場所には節子さんも一緒にいるね」

と、そう語り合っていた。

節子さんは、今でも私のそばにいてくれるのかな。

でも、大好きだったご家族のそばにいるから、私のことなんか忘れてしまったかな。

寂しいけれど、それでも仕方がない。

私の、永遠に叶う事のない節子さんへの片思い。

それでも、今でも大好きな、大好きな節子さん。

時々でもいいから、私を思い出して。

そして夢の中にでもいいから、会いに来てほしい。

私には今でも、節子さんが必要なのだから。


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